あたまのなかのせかい

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#1 序話・細い月と暗殺者

細い月が桜を淡く照らしている。今夜の任務は何事もなく完了した。

ターゲットは悲鳴をあげる間もなく、首を切られ即死した。真っ赤な刀身の日本刀・蜥蜴丸には、また別の赤が付着してしまった。黒いローブにも目立たないが、まだ乾いていない赤い血がこびりついていた。

青龍明はため息をついた。暗殺の後は力が抜ける。気が付かないうちに神経を使ってしまっているようだ。それでも今日はターゲットが都合良く深い森の中に現れたおかげで、疲れは軽く感じていた。

 

明の任務は、フリーの殺し屋を暗殺するというものだった。ただの殺し屋だったならば、彩華あやはな——明の所属する秘密結社である——は放置したかもしれない。だがしかし、男は異能者であった。

異能者。言葉通り、一般的な人間とは異なる能力を身に付けた者のことだ。超能力者と呼ばれる者もその一つである。この殺し屋の能力は影を操るというものだったそうだが、見ることは叶わなかった為、詳しくはわからない。

 

それにしても、都合良く行きすぎていないだろうかと明は思っていた。

ターゲットが人目につかない森の中に現れるということ自体、計算外の出来事であったのだ。事前に渡された資料には、男は敢えて人混みの中で殺すという手法を好んでいると書かれていた。確かにいつもはこの森に潜んでいたという仮説が成り立たなくはないのだが、その可能性は少なかった。この森の主もまた異能者であり、部外者であるはずの男を許すことはないだろう。

面倒なことになりそう。明は声に出さずに呟いた。考えることが嫌いな明にとって、嫌な予感というものは最大の敵であった。任務は一度、殺せば終わるというものだけがいい。関係者まで手にかけるとか、仲間が他にもいたとか、手間が増えるのは疲れる。まだ殺しは、黒——彩華の暗殺部隊である——に所属している自分の専門だから仕方のないことだけども、なぜここにいたのかを調べろとか、この殺し屋の男が追っていた人物を探し出せなんて言われたらと考えるだけで気が重い。そんなことは調査部隊である青の仕事だ。

 

エメラルドのような美しい色のつり目が茂みの一点を見つめた。微かな気配を感じる。長く留まりすぎたことと、考え込んだことが原因か。余計な客を近付けてしまったらしい。

 

明は躊躇なく、蜥蜴丸を死体に突き立てた。

「発火。」

小さく呟くと死体から火が上がる。肉と服が焼ける、嫌な臭いがその場を満たした。

明もまた異能者だ。火を操り、その上、見た者を不幸にするという曰く付きの妖刀・蜥蜴丸を使いこなしている。明の小さな体には不釣り合いの太刀だが、持つ手はしっかりとしており、主であることを証明しているようであった。

 

僅かだが草が擦れる音がした。その方へ腰に差していた小刀を投げる。それを避けるため、茂みに隠れていた者が木の上にぴょんと飛んだ。

その者は明と年はそう変わらないように見える、白い武道袴に身を包んだ少年だった。真っ黒な眼がこちらを見据えている。

そういえば、この森の主の孫は同年代の子供だった。少年はその孫なのかもしれない。そう明は思っていた。

「貴様は誰だ?人の領地で何をしている?」

少年は凄みを利かせた声で話す。どうやら威嚇しているつもりらしい。腰に差している日本刀に手を掛けていた。戦うつもりか。 ここで無駄に争うことは得策ではないことを明はわかっていた。森の主が来てしまえば、自分一人では手に負えないことになるだろう。少年を傷付けようという思いもなかった。任務外の仕事はしたくない。

だが、目の前の少年は説明をしたところで引くことはないと直感的に感じとっていた。それに、説明をすればその間に囲まれるのが落ちだろう。今でさえ囲まれていないことが奇跡であるのだから。

「答えろ。」

その言葉に対し、口を動かすことなく、ぴょんと少年の後ろへと回り込んだ。その動きの速さに少年は遅れをとり、振り向く前に首へ掌底打ちを食らわせる。すると、物の見事にそのままの姿勢では倒れこみ、木から落ちる。明はその一歩前に、華麗に着地をした。少年の体は茂みがクッションとなった為、外傷はなかった。近寄って肩を叩き、意識を失っていることを確認した。

 

今度こそ森は静けさを取り戻した。とはいえ、森の主に気付かれる前に脱出しなければならない。茂みに落ちている小刀を拾う。

男の死体はもう真っ黒く焦げつき、骨が取り残されているだけとなっていた。残るは後処理のみだ。

「消化。」

呟くと同時に蜥蜴丸、さらに死体の残骸も塵と変わる。その塵は明の掌へと集まり、ひとまとまりとなった。そして、赤い光を放つと、真ん中に蜥蜴が刻まれた赤い石のペンダントへと形を変えていた。明はそれを首につけてから、黒いローブに付いた血を指でなぞった。そこがぷすぷすと音を立て、焦げる匂いがする。すると、血がみるみるうちに消えて無くなったのだった。

 

トラブルはあったが無事任務は完遂した。少年はこの領地の者なら放置してもいいだろう。そう明は判断し、左のローブの裾を捲り上げ、オペラグローブを晒す。その口に細長い丸型の真っ白な石がついている。見た目はただの石だが、異能者の力に反応し空間移動をさせる、岐くなと石と呼ばれる特殊なものである。

明が唇でそれに触れようとしたとき、目線の先に光る何かが目に入った。気になって細目で見てみると、白い羽だとわかった。しかし、なぜか不思議な気配を感じ、近寄って手に取ろうとする。すると、それははじけて消えた。まるでシャボン玉のようだった。

これもまた異能なのか。異能ならば気を取らせるための罠か。それともただの偶然か。

明はしばらく思考を巡らせていたが、今の自分には分かりかねると結論付け、立ち上がり目の前を見た。すると、木に絡んだ蔦の間に何かがあると気付いた。今度はなんだ、と近寄って見ると、それは干からびた人の手だった。ため息が出る。このまま放置して帰ってしまいたい。そう思いながらも観察し始める。

その手には木が巻きついており、辿っていくと、口から生えていることがわかった。当然ながら死んでいる。

こんなのオレの担当じゃないのに。面倒くさい。明はそう思いつつ、右のローブの裾を捲り上げ、オペラグローブを晒す。その上腕に触れる口には、左腕の岐石とよく似た真っ黒な石がついている。同じく見た目はただの石だが、異能者の力に反応し、テレパシーによる電話の機能を果たす、伝達石と呼ばれるものだ。それに唇で触れると、青白く光った。通話ができる合図だ。

『こちら、黒。トカゲマル。任務後に不審事件に遭遇。我がマスターにお取り次ぎ願いたい。』

トカゲマルとは、明の仕事上の名前だ。

『了解、トカゲマル。こちら、白。ポックル。至急取り次ぎます。少々お待ちを。』

忙しい上司であるマスターには、直接テレパシーを飛ばしてはならないという決まりがある。受信したのはテレパシーを伝達石無しで飛ばすことのできる異能者たちだ。  少しの沈黙の後、聞き慣れた声が聞こえてきた。

『待たせたな、トカゲマル。こちら、黒。マスター。何があった?』

『白花神社付近の森にて不審死体を発見。おそらく異能により致死したものです。いかが致しましょうか?』

『そうか……とりあえず調査の為、青に応援を要請する。これ以上の滞在は危険だ。お前は戻れ。』

『了解。』

このまま戻っていいという指示に、明は心底安堵した。時刻は間もなく午前一時。日次報告書を仕上げ、帰宅する頃には午前二時を過ぎるだろう。これ以上は体力的につらい。明日の授業はきっと眠ってしまうだろう。

問題は山積みだが、今度こそ任務は完遂した。岐石に唇で触れる。すると石が紫に光り、触れていた唇から粒子化していく。そして足元へと徐々に化し、足先も全て粒子となった途端、弾けて消えた。

森には少年と干からびた死体、そして、消えたはずの白い羽が残っていた。